愛に生きて何が悪いの?

何よりも恋愛が大好きな女の日記

恋愛とは自分の弱さ醜さと直面

するためにある一面もある気がします。

家族や友達関係や仕事では出てくることないのに、

こと恋愛となると「すごーくみじめな気持になる自分(´・ω・`)

がちょくちょく現れます。私はね。

それは、恋愛が他の人間関係よりも相手に対して、

甘えとか依存心とかそういった弱い面がどばどば出てきてしまう作用が働いてるからとしか思えません。

心理学的には、本来、親との関係で満たされなければ いけなかったものを 満たされないまま大人になってしまった。

親からはもう与えてもらうことはできないと悟り諦めているものの、

「満たされたい欲求」は自分の中から無くなることはない。

だから、今度は恋愛相手から貰おうとする代償行為が恋愛においては発生する

と・・・。

社会的な立場でいる時にはその欲求は蓋をされている事が多い為、

普段は自分にそんな甘えや依存心がある事を自覚できないでいるからこそ、

恋愛においてそんな自分が現れる事が物凄くみじめで居心地が悪かったりします。

私は 、甘えや依存心だけでなく、

自分が相手に比べて凄くちっぽけな、 なんの取り柄も無いつまらない人間に思えて、 相手に対しコンプレックスを感じたり。

当然、自分をそんな風に捉えるので 自信なんか持てなくて、

潜在下では「そんな足りない自分を相手が好きなのが信じられない」という

意識が働いているが故(顕在意識ではそこまで思って いないのですが、潜在下ではそう感じているのかもしれません)

相手の愛を信頼できず、「見捨てられる不安」から

猜疑心や嫉妬で苦しくて相手を束縛したり、

試して自分の思い通りにしようとする悪循環に陥る恋愛ばかりしてきました。

過去形じゃないですね。

それが表面化される程度は恋愛を重ねるにつれ、マシになってきたものの、

どれだけ恋愛しても、結婚しても

これからもその葛藤は続くでしょう。

それは、永久的な自分の根源との向き合いの作業であって、

恋愛はその引き金を引く為のツールにすぎないからです。

それを解決するには、その自己の闇を自覚することと、

その満たされない欲求を自己で満たせるようにするしかないと気付いたのは

30代になってからです。

が、気付いて模索してある程度「欲求不満」を 自己で満たすことができるようになっても、 根本的に全て失くすことは一筋縄ではいかないのだと、

例え自覚しても同じ事を恋愛において繰り返してしまう自分がいて

愕然としました(ノД‘)・゜・。

恋愛は他のどんな人間関係よりも幸せを感じる事ができる。

なのに、何故一方でこんなに苦しいのだろう。

苦しさを感じることのない恋愛がしたい。

この苦しさは相手のせいなのだ。

相手が変われば、きっと今度は幸せばかりな恋愛ができるはずと・・・。

恋愛を繰り返してきたのですが、

どうやらその苦しさは無くならない模様です(´・ω・`)

だって、相手のせいじゃないから。

そう分かっていても相手のせいにしてしまったり

相手が変わってくれれば苦しくないと、エゴをぶつけてしまったりする。

学ばずに同じ事を繰り返す。そんな自分に自己嫌悪です。

 恋愛は、この世でしかできないと言います。

あの世での愛はキュンキュンするとかそういう類いのものじゃないので、

「この人好きー!!」愛[*´ω`人´ω`*]愛 みたいな熱情的なノリのものはこの世ならではのものらしいです。

じゃあ、この世における恋愛の役割というのは、

感情を揺さぶらせる為にあるのではないかと思うのです。

感情が揺さぶられる事によって、 ようやく人間は自己を内観せざるを得ない位自分と向き合うという事が苦手だし、 感情と向き合うって苦しいんです。

こんなにみじめな自分を認めたくないんです。

「若者の恋愛離れ」なんて言われていますが、

「恋愛はメンドクサイ」というのは、

「相手や自分の感情と面向かうのが苦しいから メンドクサイ」のかなぁと私は勝手に推測しております。

「何よりも恋愛好き(*´ω`*)」な私ですが、

恋愛における幸福感と同時に、 凄ーく惨めな苦しい感情も背負い、

もちろん苦しさは失くしていきたいし、 そう努力しつつ、

幸せと苦しさと共存し、

折り合いをつけて上手な恋愛ができる人間になりたいなぁと思っております。